【櫛引八幡宮】青森県八戸市
わいが御朱印に触れたのは平成27年。その前は普通に神社が好きだけだったが、職場の人から勧められてから嵌るように。
まさにこの神社が御朱印との出会いの場所!
知らないことばかりだったが、徐々にのめりこむように。
沼にはまるように、好きになっていった人間の様子を見てやってください。
御由緒・歴史
南部藩総鎮守。
南部藩初代光行公の草創。
文治5年(1189年)の平泉合戦で戦功を建てた光行公は源頼朝から糠部郡を拝領し建久年(1191年)に入部、後に家士を遣わして甲斐南部郷の八幡宮御神体を奉持(いただき奉る)し、櫛引村に宮社を造営し武運長久を祈った。
このときに遣わされた家臣は津島平次郎で、宮地がきまるまで六戸の瀧ノ沢村に仮宮を営んで奉祭。
またかい唐別当僧の宥鑁(ゆうばん)が供奉し、別当普門院の祖となった。
櫛引村に大同年間(806~810)に坂上田村麻呂が祀った八幡宮の小社があり、同神同体であるので瀧ノ沢の仮宮からこの地に遷座したとある。
以後、櫛引八幡宮と称し、南部の総鎮守となったとある。
※(参拝のしおり参考させていただきました)
御祭神
・ 御本社・御祭神
八幡大神 -別奉称 誉田別尊
・ 脇宮御祭神
天照皇大神 天津児屋根神
摂社・末社 御祭神
大国主神 建御名方神 惶根神 伊弉冉神 水波能賣神 白山比神 素盞雄神 猿田彦神 倉稲霊神 武甕槌神 伊弉諾神 鳴雷神 生保馬神 泥土煮神 火産霊神 大山祗神
境内の文化財・石碑
末社 神明宮
国指定重要文化財
日本における総氏神であり、伊勢の神宮の主祭神と同じ天照皇大神を祀る。
本殿や旧拝殿よりも年代手法共に新しいが、櫛引八幡宮の社殿として一体のものとなっている。
一番の見どころは屋根の流れるような曲線の美しさ。そして基礎部分が自然石野礎石の上にのせてある部分。(由緒書きより)
「八幡馬の唄」の石碑
写真忘れましたが国宝館も見どころの一つ。
国宝 赤糸 威 鎧兜大袖付 附唐櫃ほか重要文化財・県重宝・市文化財など計25点の文化財を収蔵・展。そのほかにも24点もの文化財を収蔵。
元々はこっち方面が好きだった。
鳥居
御朱印について
御朱印帳及びに御朱印有り。
神社の雰囲気
南部の総鎮守と謂われるほどの厳かな雰囲気がある。
鳥居の前にいるだけだというのに洗練された空気が漂ってくるように感じる。まだ神域にも聖域にも立ち入っていないというのに…。
鳥居の前で一礼して神域へと足を踏み入れると、『神々が住まう場所』に近づいた気分になる。
手水舎で口と手を清める(このときはまだ某感染症が猛威を振るう前)。心身の汚れを落とす行為と言われる。
よくワイは職場で冗談で『根性曲がって伸びている』と言うが、手と口を清めただけでまっすぐに伸びたような気になってしまった。それだけの見えない力が感じられた。
神門をくぐる手前には橋が架かっている。
まるで『この橋は神の住まう場所に繋がっている』と言うことを示しているように感じた。
聖域に入ると他の参拝者も居たが、静かな空間だった。
しっかりと背筋を伸ばし頼みごとを伝える。
結構本気で横浜の優勝をお願いしていた自分が居た。これでもおふざけなしの、本気のお願いだった。
普通なら旅の無事と健康などのまじめな内容なのだが、自身にとっても横浜のことはまじめな内容なのだ。
きっと神社からあふれる力にあてられた、と一人で思いながら神社をあとにした。
櫛引八幡宮の住所
〒039-1105 青森県八戸市八幡字八幡丁3
駐車場有。