【熊野奥照神社】青森県弘前市
神社の基本情報
・ 神社名 : 熊野奥照神社
・ 住所 : 青森県弘前市田町4丁目1-1
・ 御朱印 : 御朱印あり
・ 創立年 : 崇神天皇(紀元前85年
御由緒・歴史
阿部比羅夫が秋田・能代の蝦夷を討ち、津軽に所領を定めた際に熊野三所大権現を奉ったのが最初。
その後、弘前に遷座。当時は高岡と呼ばれていた。
延暦21年に神殿を造営し【高岡神社】に。
延暦24年に【陸奥国高岡熊野神社】に。
津軽藩祖為信公が天正16年に社殿を修復。
明治13年に蝦夷征伐の功績により阿部比羅夫・坂上田村麻呂の二神霊を合祀。これにより【熊野奥照神社】に。
現在の本殿は二代目藩主信牧公の再建によりもの。弘前最古の建造物。
昭和29年9月に棟札5枚と社殿が共に重要文化財に指定。
田村麻呂将軍の埋伏と伝えられている『蕨手刀』が、県重宝。
県内最古金剛界五仏の板碑、本殿前の石造狛犬は文献史料と共に市指定文化財。
御祭神
十座
・ 伊邪那岐命
・ 伊邪那美命
・ 事解之男神
・ 速玉之男命
・ 櫛御気野命
・ 国作大巳貴神(大黒様)
・ 事代主神
・ 天穂日神
・ 阿部比羅夫
・ 坂上田村麻呂
相殿【卜問石神社(うらどいしじんじゃ)】
・ 高皇産霊神(宇宙根源の神)
・ 神皇産霊神
相殿の歴史
藩祖為信公が津軽郡内での合戦の勝敗を占ったという神石。
二代藩主信牧公の正室・満天姫が祠を造営。
十一代藩主順承公が再建。
御神徳
寿命長久、諸願成就、武芸上達、病気全快祈願、家内安全、商売繁盛、病気平癒、縁結び、厄除開運
相殿
安産祈願
境内の施設
【鳥居】
・ 明神系・両部鳥居。
・ 柱の前後に控え柱がある。
・ 両部鳥居の神社は神仏習合の神道の神社に多い。
・ 七戸町の新館神社の鳥居と同じ。
・ 笠木・島木が反っている。
【狛犬】
・ 吽形型の狛犬の足元には『子供』
親子の狛犬 : メスの狛犬が子供をあやす。江戸時代に雌雄の狛犬が生じ、子連れ狛犬が誕生したという説がある。
・ 唖形型の狛犬の足元には『玉(毬)』
玉乗りの狛犬: 玉と戯れる。片足を玉に乗せている。因みに両足を乗せているのは西日本に多い。
【カエルの碑】
・ 七福カエル
・ 交通安全の碑
・ カエルは農耕・道案内の神の使い。
・ 田の神・久延毘古(案山子)とともにヒキガエルが描かれている。
・ カエルは猿田彦大神の使い。
・ カエルは『帰る』から交通安全の神に。
日本全国にはカエルに関しての逸話は多く存在する。
富士塚を降りたカエル→富士カエル→ブジカエル→無事帰る
溺死した猿田彦大神とカエル→黄泉からカエル→ヨミガエル→蘇る など
【手水舎】
・ ここもカエル。
・ 某理由により使用禁止中。
・ 意外と愛嬌があるカエル。
御朱印の情報
御朱印有り。
通常バージョンと古代文字バージョンがあり。
弘前市最勝院の隣にある【八坂神社】の御朱印もあり。(※神社情報・御朱印は最勝院で書きます)
【熊野奥照神社の古代文字御朱印】
神代文字とも呼ばれている。
日本において、漢字が大陸より伝来する以前に使用されていたとされる文字。
日本各地でその存在が発掘・発見されてきている。
熊野奥照神社でも、古代文字が刻印された印章が見つかり、それを神社の守り札として使用している。
雰囲気
古い歴史を持つ神社だが、弘前市内から少し離れた住宅街にひっそりと建っていた。
周りを木々で囲まれているが、広い境内が鬱蒼としている風には感じられない。
参拝時に一番に目についたのが『カエル』と『国の重要文化財』の説明書き。
社殿は古いながらも手入れされており、華美な装飾は無いものの、見た目や風貌は力強さを感じさせるものだった。
慶長18年と言うことは1613年のもの。400年以上も前の建造物を目にし、触れることができる。貴重なものが残っていることに軽く感動を覚える。
歴史的な建造物の次に境内で目を引いたのは『カエル』だった。
帰宅後に『神社とカエル』の関連性を調べたことで、洒落の利いた御利益だなぁ、と思えた。無事にカエルから旅行安全・交通安全とは…。神社自体の歴史もさることながら、こういう境内の建造物の理由も知ることができると面白いと感じられた。
御利益・理由通りに、参拝時には道中の安全の感謝と、帰宅時の無事をお祈りする。