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五所川原神明宮/再建頑張ってほしい!

焼失前後を知っているが…無くなると寂しいし、こんなに小さかったのかなぁ、とも思ってしまう。

基本情報

神社名  : 五所川原神明宮
読み方  : ごしょがわらしんめいぐう
住所   : 青森県五所川原市中央1丁目154

旧社格  : 郷社
御朱印  : あり
建立年  : 寛文4年(1664)
創立者  : 伊勢の御師
その他  : 令和6年3月19日に火事により拝殿が全焼している

歴史

伊勢の神宮に鎮まる【天照大神】をお祀りするために旧喰川(現在の本町)に勧請されたと伝わる。
安永5年(1776)に広田組中の安全五穀成就祈願所として広田村大日宮・吹畑村八幡宮とともに三年目毎に組神楽の執行方を仰せつけられる。
明治6年(1873)に郷社に列格。
昭和19年の大火により茅葺の社伝が灰燼に。
昭和40年に300年鎮座していた本庁から現在の中央1丁目に移転。このときに「本殿心御柱用材」を皇大神宮より賜る。
平成6年に、区画整理により現在地へ。本殿御用座位として「第61回伊勢神宮式年遷宮古殿舎徹脚材」を賜る。
平成8年に社務所、平成9年に拝殿、平成10年に本殿が竣工した。
令和6年3月に火事により拝殿が全焼している。

御朱印について

・ あり
・ 社務所でいただける

御祭日

・ 1月1日  : 歳旦祭
・ 1月3日  : 元始祭
・ 1月7・16日: 焼納祭
・ 2月11日  : 紀元祭
・ 2月23日  : 天長祭
・ 4月16日  : 祈年祭(春祭祈願のお祭り)
・ 4月29日  : 昭和祭
・ 5月16日  : 例祭(1年で最も大切なお祭り)
・ 6月30日  : 大祓(茅の輪くぐり)
・ 6月第3土曜日 : 奥津軽虫と火祭り
・ 旧暦5月末日  : 宵闇祭(2日間)
・ 10月17日  : 神嘗奉祝祭
・ 11月3日  : 明治祭
・ 11月23日  : 新嘗祭(秋祭、収穫感謝のお祭り)
・ 12月31日  : 大祓
・ 毎月1・16日: 月次祭
・ 毎日    : 日供祭

御祭神

・ 天照皇大神
《境内社》三社宮
・ 保食神
・ 大己貴命
・ 菅原道真公

御祭神の神格と御利益

【天照皇大神】
・ あまてらすすめおおみかみ
・ 日本人の総氏神様
・ 太陽神で女神
・ 日本で一番有名な神様だと思われる
・ よく記事にも出てくる神様
・ 高天原を治める偉い神様なのだが、天岩戸伝説の影響で『日本最古のひきこもり神』に認識されている、筆者に
・ 稲作の神格を持つことから、保食神との繋がりがある
《神格》
太陽神、高天原主神、皇祖神、総氏神、幡織神、農業神
《御利益》
開運隆盛、勝運、健康祈願、子孫繁栄、合格、出世、五穀豊穣、国土安泰、国家安泰、諸願成就、魔除け、厄除け

【保食神】
・ うけもちのかみ
・ 食物を司る神様
・ 『古事記』では伊弉諾尊・伊邪那美尊の【神産み】から生まれた
・ 神名は【大宜都比売(おおげつひめ)】
・ 大いなる食物の女神
・ そう…女神!
・ 「古事記」では素戔嗚に、「日本書紀」では月夜見に切られ、その御遺体より様々な穀物を生み出した神様
・ 因みに月夜見がこのことを天照に報告したのちに、天照は月夜見と決別。それにより太陽と月は昼と夜に分かれるようになったとか
・ 世界に五穀をもたらした豊穣の神
・ 青森県内で保食神を祀る代表的な神社の一つとして、平川市にある【猿賀神社】が有名
《神格》
食物神、農業神、蚕の起源神、牛馬の神
《御利益》
農業守護、漁業守護、開運招福、災難厄除、航海安全、縁結び、子宝、安産、出世、家内安全

【大己貴命】
・ おおなむちのみこと
・ 『古事記』において【大国主神】
・ 古事記と日本書紀で父神が違う
・ 古事記 →天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)
・ 日本書紀→素戔嗚尊(すさのおのみこと)
・ 様々な女神との間に多くの子供をもうけている
・ 素戔嗚から課される難題・試練を経て、娘である須勢理毘売命(スセリヒメ)と結婚。葦原中国の支配権を譲り受け、天津神への国譲りまで地上の王として君臨
・ 出雲国を治める王
・ 少彦名命と経済活動による国造りを、大物主神とは祭祀活動による国造りを行う
・ 神仏習合し仏教の守護神である大黒天と習合される
・ 七福神の大黒様と同一視されている
《神格》
国造りの神、農業神、商業神、医療神、縁結びの神、国津神
《御利益》
縁結び、子授、夫婦和合、金運、病気平癒、産業開発、交通・航海守護、商売繁昌、五穀豊穣、厄除け

【菅原道真公】
・ すがわらのみちざね
・ 別称に【天満天神(てんまてんじん)】や【天魔大自在天神(てんまだいじざいてんじん)】がある
・ 学問の神様
・ 平安時代における優れた政治家にして文化人
・ 代々学者の家系で、五十五歳の時に右大臣にまで登る詰めた
・ その出世により時の権力者の反発を買い左遷された
・ 北九州の太宰府に左遷されてた人物
・ 怨霊から神へと変遷した存在
・ 天神信仰が浸透していき、江戸時代の寺子屋の始まりとされている
・ 道真公の遣いとして有名な動物は『ウシ』
《神格》
・ 学問の神、受験の神
《御利益》
受験合格、詩歌、文筆、芸能、学問上達、農業守護、病気平癒、子宝・安産

五所川原の夏祭り

・ 御書側の祭りと言えば【立佞武多】が有名
・ 神明宮からさほど離れていない場所に【立佞武多の館】がある
・ その近くには田舎のプレスリーこと【吉幾三さん】の資料館もある

【立佞武多】
・ 青森県津軽地方各地に数多く伝わる【ねぶた・ねぷた】
・ 一番古い記録は正徳3年(1713)にまで遡る
・ とある挿絵より「木・竹で作った骨組みに和紙を張り付け、その中に灯を入れて街中を運行する」様子が描かれている
・ 江戸時代から今日まで続くスタイルが確立されている。流石に昨今は中の灯はLEDになりつつあるけど…時代の波かな?
・ 明治末期から大正時代初期に掛けて五所川原で運行されていた巨大なねぷたが現在に復活したのが【立佞武多】
・ 書いて字の如くねぶたが『立っている』
・ 青森市のねぶたは立位ではないからなぁ
・ 立佞武多の掛け声は【ヤッテマレ】
・ 吉幾三氏の『立佞武多』という歌があるが、そこでも合いの手にヤッテマレが入っている
・ 青森市の【ねぶた祭り】は「七夕の灯籠流しから始まった」とされている
・ 青森市のねぶた祭りは掛け声が【ラッセラー】と共に乱舞する跳人
・ 三国志や水滸伝、日本の軍記物が題材になるものが多いのが【弘前ねぷた】。扇型
・ 弘前ねぷたは【ヤーヤードー】の掛け声

【立佞武多】

【ねぶた】

境内の様子

【鳥居】
笠木  : 水平
島木  : なし
木鼻  : なし
楔   : なし
額束  : あり
その他 : 笠木も貫も円柱ですねぇ
・ シンプルな造り
・ 神明系鳥居
・ 形式は神明系鳥居だが、どの系統かは分からない
・ 鳥居は石造
・ 鳥居手前の「再建ボランティア募集中」が何だか来るものがある
・ こちらは特に被害がない様子

【参道】
・ 鳥居をくぐり狛犬の間を抜け、手水舎で清めたのちに左へと進むと御社殿があった
・ 砂利道
・ 御社殿周りには御社殿の一部だった材木が並ぶ

【手水舎】
・ 四脚の建造物
・ 石桶の中には冷たい水が張られていた
・ 屋根は鉄板葺かな?

【狛犬】
髪・眉 : 短めで毛先はカールしている。前髪もカールし眉は見えないが、そのカールした前髪が眉のようにも見えてしまう
口・歯 : 口は横一文字に大きい。上下に2本ずつ合計4本の牙。通常の歯は四角く、歯並びは非常に良い
髯   : 口の下に胸元まで届くくらいの髭が生えている。こちらは毛先はカールしていない
耳   : 後方に伏せる耳。鼻や目同様に大きい
目・鼻 : 目は楕円形で瞳がある。目の縁取りは朱色。主張する大きな獅子鼻
毛・尾 : 毛並みは燃える炎のような毛並みが体に張り付いている。立ち尾もゆらめく炎の如く
手足  : がっちりとした筋肉質な見た目の手足
姿勢  : 背筋を伸ばし、胸を張った堂々としたお座り
・ 石造だが色白
・ 蕪島神社でも見た色合い
・ 岡崎現代型の狛犬だろうか?
・ 数年前に比べて心なしか悲しそうに見える
・ 狛犬越しからも見えるが、焼失した御社殿の跡地が…
・ 唖形型の足元には毬があり、吽形型の足元には子狛犬

【摂社・末社】
・ 三社宮
・ 本来は御社殿・御本殿同様に緑色がかった屋根の色合い
・ 現在は赤茶色がかった色に
・ こちらにも大きな被害が無かったのは幸いか?

【御社殿・御拝殿】
階層   : 平屋
材質   : 木造
建築様式 : 神明造
屋根の特徴: 平入
屋根の材質: 銅板葺
・ 健在だったときに参拝しているが20年以上も前に作られた建造物にしては新しいと感じた
・ 広く開かれた場所、という雰囲気があった
・  豪華絢爛ではないが、質素過ぎない、丁度良い感じの厳かな雰囲気を持つ建造物………だった
・ 普通の住宅もそうだが、焼失前は「大きいなぁ」と思っていた建物だったが、何もなくなると「アレ?こんな規模だったっけ?」になる不思議
・ 焼け残った柱や飾りなどが周りにあったが、あまり関係ないワイでも悲しい・空しい気分になる
・ 地元の神社も数年前に全焼したからなぁ…しっかりと復興してほしいなぁ
・ 復興してほしい反面八戸市の某神社の様な様相に変化するのはやめてほしい。質素→豪華絢爛・華美な装飾に変わるのだけはやめてほしい…どことは言わないが

【御本殿】
階層   : 平屋
材質   : 木造
建築様式 : 神明造
屋根の材質: 銅板葺
・ 本来は御社殿の奥にあり中々詳細を見ることは出来ないが…
・ 御社殿が焼失しており、御本殿だけになっていると不思議な感じがする
・ こう言うと失礼だが、神様のお社が残ったのは不幸中の幸いか?
・ 屋根は依然見た時は緑がかったものだったが、現在は一部補修され煤のついた悲しきものに
・ 一部被害を受けているが本当に無事でよかった

まとめ・感想

以前参拝時はあまりゆっくりできなかったので、五所川原方面行った際に足を運ぼうと思っていた結果がコレだよ…。「思ったが吉日」で行けばよかった。
記憶の中の御社殿は質素ながらも広く開放された建物だった。帰宅後に昔の写真を見ると、開かれた神社という雰囲気?来るもの拒まず、という風な…。


そして現在参拝時に思ったのは、建物が無くなると「こんなに小さかったっけ?」と感じてしまった。建物があった時は広くゆったりとした境内だと思っていたが。


摂社である三社宮の近くには御社殿内外の柱や装飾品が安置されていた。御本殿同様に三社宮の屋根も変色していた。熱気の強さを想像してしまう。
しんみりと悲しくなってしまった。是非とも再建されてほしい。
前回の訪問と今回とでは、御社殿の焼失が一番の変化なのだが、心なしか御朱印にも影響が出ているのだろうか?前回に比べて今回の御朱印の字体は力が入っている気が…?

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