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妙龍寺/たまたま見つけたのは縁があったからか?

たまたま長円寺さんで見つけた、飯詰のパンフレット。そこでこちらの寺院のことが書かれていた。調べてみたところ、飯詰四ヵ寺の一つと。これも何かの縁かもしれない。一度行って見よう。

基本情報

寺院名  : 妙龍寺
宗派   : 日蓮宗
山号   ; 高楯山
正式名称 : 高楯山妙龍寺
住所   : 青森県五所川原市大字飯詰字福泉29
御首題  : あり
開山   : 高楯城主朝日左衛門尉藤原行安
開山年  : 寛文年間
御本尊  : 十界曼荼羅
その他  : 飯詰四ヵ寺の一つ

歴史

飯詰四ヵ寺の一つ。
天正16年(1588)に津軽為信により滅ぼされた高楯城十代目城主が、法華経の霊神である末法鎮守七面大明神を館神として勧請。現在地に七面山鎮守堂を創建した。
寺院の歴史は十代目城主である藤原行安と同じく波乱万丈な運命をたどる。
今から300余年前の寛文年間に、高楯城邸内桜田の地に、七間四面の精舎を建立、【法布山正行寺】と号した。
宝永4年(1707)に北郡小泊村に移転。
享保15年(1730)に、神山に住む田越山三郎という人物が霊夢をきっかけに七面堂を再建を発現。宝暦11年に黒石市から光順院上人が赴き、正行寺旧跡に再び庵寺を建立した。
天明4年(1784)に、他宗徒の権謀術策・迫害により全てを焼き払われる。
その後歴代上人の努力により維持され、七面大明神石碑建立・日蓮聖人像安置・報恩碑奉納・寺庭の造成と、着々と寺院再興事業は受け継がれていく。
昭和16年に【飯詰結社】になる。
昭和22年に【高楯山妙龍寺】となる。

文化財について

七面大明神宮殿が平成13年に、五所川原市有形文化財に指定される。
・ 江戸時代中期に作られた市内最古級の建造物
・ 仏像を安置する、一間の建築型厨子
・ 入母屋造。屋根部分に、軒唐破風が付く
・ 建造時期は宝暦年間(1751~1763)

七面大明神について

・ 梵天王と並んで、仏教における【二大護法善神】
・ 仏教の神様の中において、最強の戦いの神様
・ そのため御利益として、『勝負運・厄除け・病気平癒』などがある
・ 七面天女とも称され、【日蓮宗系において法華経を守護する女神】
・ 元々は日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰
・ 日蓮宗が広まるにつれ、法華経の守護神として、各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった

境内の様子

【山門】
・ 唐破風の形をした屋根
・ 木鼻部分にはカッコいい龍の彫刻
・ 龍の彫刻は緻密。躍動感がある
・ 四脚門?
・ 扉に随身の仁王像
・ 四脚門?随身門?
・ 邪を退ける仁王様なのだが、表情は優しそうな不安顔。なんか「どうぞどうぞ」と通してしまいそうな雰囲気

【日蓮聖人】
・ 門をくぐると『高祖日蓮大菩薩】と刻まれた石碑
・ その隣に、日蓮聖人の像。『法華経ノ行者』と刻まれている
・ 表情から若い時代ではなく、壮年期のような感じ

【七面大明神】
・ 大明神の石碑の上には、文化財のあるお堂
・ 木鼻に獅子、蟇股箇所には龍神様。その周りには雲の形の彫刻
・ 小さいながらもしっかりとした造り
・ 獅子は上目遣いで、凛々しいというよりもひょうきんな顔つき
・ 対して龍神様は荒々しくカッコいい
・ お堂内は見学不可。そこらへんはしょうがないね

【鐘楼】
・ 鐘楼へと続く橋。名前は『霊山橋』
・ 立派な太鼓橋
・ 鐘の名前は『蘇生ノ鐘』だって
・ 建物は新しく、確りとした造り
・ 本堂よりも高い場所にある
・ 本堂から見上げると、その高さがわかる

【総供養塔】
・ 鐘楼をさらに奥に進むとある
・ 供養塔の傍らにもお堂がある
・ 供養塔の近くには『木村助男詩碑』なるものがある

【御本堂】
・ 雪国らしく二重玄関の造り
・ 『悦法』かな?
・ 御本堂内は静かでリンと張りつめた空気があった
・ ほかの寺院とは違い、少しこじんまりとしていた
・ 上から見下ろすと小さく感じたが、そこに居られる雰囲気は大きく感じられた
・ 多くの悲劇に見合われた場所だが、多くの方々に大事にされているのか、鐘楼等がある上の山部分 までしっかりと手入れが行き届いていた

御首題について

あり。
しかしお願いしたところ、現在書ける人が居ないとのこと。書き置きの対応とのこと。また枚数もあまりないと話されていた。

まとめ・感想

たまたま飯詰のことが書かれたパンフレットに書かれていた為、長円寺さん→大泉寺さん参拝後に向かうことに。
住宅街の中に急に現れる立派な山門。

龍の彫刻に眼がひきつけられる。その左右に控える仁王様は打って変わって、優しそうな表情のため、造形のギャップに笑顔になってしまう。頼りなさそうに見えるが、きっとお強いのだろう。
文化財である七面大明神宮殿は見ることは叶わなかったが、本堂内の新聞記事を見るに立派なモノなのだろう。また御首題を頂いたときに効いたのだが、事前に連絡を入れるとみることができるとのこと。次回は是非見てみたい。江戸中期の歴史を味わいたい。
本堂の二重玄関は雪国特有のものだろう。南部の雪の少ない地域でも二重玄関が殆ど。況してやこちらは豪雪地帯。これくらいしなければ大雪時には寒いし、本堂への参拝も難しいだろう。
堂内の雰囲気はピンと張りつめた空気ではなく、リンとした厳かな空気感だが温かみのある雰囲気だった。初めて来た場所なのに、地元のお寺感を感じられるような場所だった。
参拝時は心の中で御題目を唱え後にした。

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