小田八幡宮/源義経ゆかりの地。武の神様を祀る
基本情報
神社名 : 小田八幡宮
読み方 : こだはちまんぐう
住所 : 青森県八戸市小田1丁目2−1
御朱印 : あり
建立年 : 平安後期・天喜年間(1046~1057)
創立者 : 鎮守府将軍・源頼義
その他 : 根城・北方守護神
歴史
当寺の陸奥国は安倍氏が朝廷に対して独立運動を展開し世情が不安定だった。源頼義が赴任した多賀城から見ると北方鎮護の意味合いから、北方守護神の四天王で毘沙門天を安置することで陸奥国の安寧を願った。
小田八幡宮は源義経ゆかりの神社の一つ。
義経は文治4年(1188)に平泉で自刃したとするのが通説だが、岩手から青森→北海道に渡り生き延びたという、所謂『義経北方伝説』が数多く伝えられている。
建武元年(1334)に、南部師行により根城が築かれると、小田八幡宮の境内は根城から北方に位置している。
このことから小田八幡宮は【北方守護神】とされた。
南部家は甲斐源氏の一族だったことから、毘沙門堂は源頼義が創建したことから、源氏縁の地だった。
南部家は改めて氏神である八幡神の分霊を勧請し、崇敬社として庇護した。
その後は神道色の強い八幡神と仏教色が強い毘沙門天の両方を祀る神仏習合の形式となった。別當寺院は天台宗の福田山徳城寺が祭祀を司るようになった。
天和年間(1681~1683)には徳城寺の一部として認識され【小田毘沙門堂】などと称したが、明治初頭の神仏分離令により仏式が廃止され、社号を【小田八幡宮】と改めて正式に神社として独立。
明治6年(1873)に村社に列する。
源義経と小田八幡宮
平泉から落ちのびた義経一行は高館山に居を構えると、毘沙門天像(胎内に八幡様が安置)を持参して小田八幡宮に奉納した。
この地で義経が田んぼを拓いたことから、地名として【小田】が残り、小田村の起源になったとも。
大般若経の写経と経箱を寄進したという伝承が残り、境内には義経堂が建立されたという。
八戸に残る他の義経伝説について
弁慶石 : 八戸城
義経石 : 八戸城、現在所在不明
おがみ神社 : 義経正室の久我家の娘が葬られた聖域
長者山新羅神社: 義経の家臣板橋長治の居城跡
藤ヶ崎稲荷神社: 義経が勧請した神社
帽子屋敷 : 義経が烏帽子を掛けた場所
矢止めの清水 : 弁慶が高館から矢を放ち、突き刺さった場所から湧き出た清水
種差海岸 : 義経主従が海から渡航し上陸したとされる
熊野神社 : 上陸後に境内で休息した
三嶋神社 : 源氏囲内。『法官』を名字に掲げる旧家がある
毘沙門天について
・ 仏法を護る護法善神の一人で、四天王や十二天に数えられる
・ 北の方角を守護
・ 天部に属する仏神
・ 四天王時は『多聞天』
・ 戦の神・七福神の一柱
・ 勝利をもたらす、様々な福徳を授ける福の神
・ インド神話では『クベーラ』という財宝の神
・ 『天』は神を表現する
・ 日本では独尊の場合は『毘沙門天』
・ 四天王の時は『多聞天』
・ サンスクリット語で『ヴァイシュラヴァナ』と呼び、意味は『よく聞く』→中国で『多聞天』→日本に伝来し『多聞天=毘沙門天』
御祭神
応神天皇
・ 文武の神様
・ 応神天皇は弓術の達人
御神徳
国家鎮護、産業振興、勝運招来、厄難除け、子孫繁栄、家運隆昌、教育、交通安全、
悪病災難除け など
境内の様子
【鳥居】
【一の鳥居(入口)】
笠木 : 反り増しあり
島木 : あり、反り増しあり
木鼻 : あり
楔 : あり
額束 : あり
その他 : 柱の前後に稚児柱あり
・ 明神系鳥居の発展型の両部鳥居
・ 額束の字はかろうじて『八幡宮』と見える
【二の鳥居】
笠木 : 反り増しあり
島木 : あり、反り増しあり
木鼻 : あり
楔 : あり
額束 : あり
その他 : 柱の上部に台輪
・ 明神系鳥居の発展型の台輪鳥居
・ 柱の上部の台輪が特徴的
・ 柱の真ん中らへんから、境内を囲むように板垣が展開
【小田八幡宮表門】
・ 小田八幡宮の神門
・ 八脚門の構造
・ 平安時代の天喜年間に建立
・ 毘沙門天像が祀られたことから、小田毘沙門堂・小田仁王門と呼ばれていた
・ 神紋の【笹竜胆】は源氏を表す
・ 三間一戸の門
【門前の狛犬】
髪・眉 : 前髪カールで眉分からず
口・歯 : 唇が目立つ。牙と四角い歯が並ぶ
髯 : 顎髭あり・髪同様にカール
目・鼻 : 真ん丸瞳。鼻の位置は分かるが全体的に目立たない
毛・尾 : 毛並み・尾共に体に張り付いている
手足 : 丸みを帯びているががっしりしている
姿勢 : 後ろに重心が行っているように見える。背筋ピン!
・ 表面から見ると、どこか抜けている愛嬌のある顔立ち
・ 獅子舞の獅子に顔が似ているように見える
【手水舎】
・ 周りを簾で囲っている
・ 八戸は青森県内では雪が少ない方だが、風は普通に冷たい
・ 造り自体は簡素な造り
・ 龍神様等はいない
【神橋】
・ 太鼓橋
・ 見える本殿は神域なのだろう
・ 池は半分凍っている
・ 流れていないから、時間が止まっているように見える
【神橋渡ってすぐの狛犬】
髪・眉 : 前髪カールで眉隠れている
口・歯 : 唇は目立たないが舌がある。歯は三角。
髯・耳 : 顎髭カールしている。鼻の下も少しあるか?耳は張り付くように伏せている
目・鼻 : 楕円形の目で瞳が描かれている。鼻は小さめ
毛・尾 : 体全体に張り付くが流れている。尾も体に張り付いている
手足 : 太くてがっちりしている。
姿勢 : 少し猫背のように見える
・ 神門手前の狛犬と違って、どこかずんぐりしている
・ ずんぐりしているが、表面の表情は愛嬌がある
・ 見た雰囲気から他よりも歴史を感じさせる
【拝殿前の狛犬】
髪・眉 : 前髪カールで眉は分からず
口・歯 : しっかりと唇がある。上下に四角い歯と立派な牙がある
髯・耳 : 胸のあたりまで伸びた髯あり。耳は先っぽが後ろに伸びるように立っている
目・鼻 : 楕円形の目で瞳も描かれている
毛・尾 : 毛並みは体に張り付き、流れている。尾は立ち尾
手足 : がっしりとした体躯で爪もあり
・ 吽形の足元には子狛犬
・ 唖形の足元には毬
・ 見た目が完全に某ポケモン
・ 表面からの御尊顔も凛々しくカッコいい
【拝殿・本殿】
・ 蟇股には鳳凰と龍神様
・ 木鼻には獅子
・ 切妻屋根の入母屋造り
・ 本殿の屋根には鰹木
・ 北方守護!と言われるが、すごく大きいというわけでもないが、威風を感じられる
【摂社・末社】
【義経堂】
・ 義経ゆかりの一つ
【伊藤仙右衛門宣義氏】
・ 八戸藩政期に塩専売で藩財政に貢献した人物の石像
・ 『矢留の清水』の命名者とのこと
・ 龍神様と井戸・湧水は上記のことか
【蒼前社】
・ 御祭神は蒼前之神と大黒天様
【毘沙門堂】
・ 拝殿の右手奥の山の上にある
・ 参道手前には案内の石碑と神橋
・ 結構しっかり目の橋
・ 鳥居は二の鳥居と同じく台輪鳥居
・ 進んでいくと『木花開耶姫命』を御祭神とする【子安社】が見えてくる
・ そこから少し上がると毘沙門堂が見えてくる
・ それなりの高さのところに鎮座
御朱印について
あり。
神社隣の宮司さんご自宅でいただける。
初穂料は300円。
まとめ・感想
同じ市内の三嶋神社同様に義経伝説が残る、歴史と由緒正しい神社。神門は八戸文化財にも指定されている。
北方の守護らしく主祭神も応神天皇。武神を祀り、毘沙門天も居るとなると武家の気風を強く感じる場所、というイメージ。
拝殿や神門も見ごたえあるが、筆者的には様々な種類・見た目の狛犬にも注目したい。一つ一つの表情やたたずまいが見ごたえがあるだろう。
拝殿前の狛犬は、瞳の縁取りもうっすらと朱く取られている。ただでさえ目力が強いのが、さらに増している様にも見える。
神社の場所は八戸市郊外とはいえ車通りが多い場所。一の鳥居を撮影する際には気を付けてほしい。