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【糠部神社】廃藩置県による取り潰し~国指定の史跡に

青森の桜の名所は弘前城だけではない、三戸城も百名城の一つ先日国の史跡に選ばれた。
三戸城址白山公園内鎮座
糠部神社

御由緒・歴史

 南部氏の始祖である南部光行公をお祀りしている。
南部氏は元々は甲斐国(山梨県)の豪族。南部光行は、加賀美次郎達光公の三男として生まれる。後に南部氏を名乗るようになる。南部氏は清和源氏の流れを持ち、名門で誉高い家柄でもあった。
糠部の土地を賜った時期は諸説あり、12世紀末期ころに入部したとされている。それ以来この地に700年余り南部氏は東北の雄として君臨し街を栄えさせている。
 神社創建の時期は明治8年。三戸の給人だった佐藤連之助の提唱によるもの。
明治時代の幕開けと共に廃藩置県が進み、全国に廃城令が下る。国内の城郭は取り壊される時代にあった。それにより三戸城も例にもれずに廃城命令が下る。
佐藤氏はこれまで南部氏が築き上げた功績を無に帰すのは忍びな。い後世に残したいという強い思いを持つ。彼の声掛けにより各郡の有志達の尽力により、南部氏の始祖を御祭神として、糠部神社が創建される。
創建は明治11年12月1日。翌年の6月26日には県社へ昇格する。
※(参拝のしおり参考させていただきました)

南部氏家紋について

向鶴紋
 胸に描かれた九曜紋が特徴。鶴は阿吽を表している。

1【合戦時に見た僥倖】
 室町時代第13代目当主南部守行公の時。当時秋田の安東鹿季と戦をした際に、戦場に二羽の鶴が舞い降りた。これを僥倖に思った守行は、ひるまずに軍を進め見事に戦いを制す。
2【光行公の功績】
 初代当主南部光行公が源頼朝公に仕えていた時代。頼朝公は光行公に「二羽の鶴を殺さないように射取れ」という命令を出す。光行公は一羽は翼を、もう一羽は足を射て鶴を生け捕りにする。頼朝公は大いに光行公をほめたたえ、一羽を天皇に献上し、もう一羽を陣中に置くようになる。

御祭神

・ 南部光行公(南部氏初代当主)
・ 宇迦之御魂命(相殿)

御神徳

・ 学問・武芸成就
・ 家内安全
・ 勝負運
・ 五穀豊穣
・ 商売繁盛 

神社行事

・ 新年祭(春祭)    5月1日
・ 例大祭        8月21日
・ 新嘗祭(秋祭)    10月23日
・ 月次祭        毎月一日・十五日、一般参加可能

御朱印の有無

御朱印有り。
特別御朱印有り。

左の御朱印の右下の印は何種類か存在する。
右の御朱印は桜祭りの時期に拝受できる。

三戸城・御城印有り。
特別御城印有り。

左が特別御城印。国指定記念。
左は通常御城印。

【追記】

令和5年追加版

狛犬の様子

同じ場所だが、桜の有無で雰囲気が全く違って見える不思議。

神社の雰囲気

 神社のある白山公園は桜の名所としても有名。一応桜の時期に行った日は桜祭り中だった。通常の祭ならば人であふれかえっているが、某感染症のこともあり出店などの規模が縮小していた。その影響で見学者も少なく、ゆっくりと神社・城・桜を見学できたが…。桜の下を通りながら参拝で来た。桜の有無で雰囲気が全く違い軽く感動していた。
国の史跡に指定されたことで、某感染症が無ければ人であふれかえっていたであろうことを考えると、良い時期に見学できたのではないだろうか?
 社殿は史跡に指定される前は、存在感はあるが覇気がないという感じがした。しかし史跡に指定された後は息を吹き返した(?)ように、活気にあふれた感じになっている。
歴史を調べると南部氏の功績を後世に残すためのものと言うこともあり、指定後は隣の三戸城と同じくように存在感を増したように感じる。公園内にあるのもあるが、神社の周りはしっかりと整備されており、社殿も綺麗にされている。大きくはないが、小さな巨人のような存在感を感じるような神社だった。

綺麗であることはきれいだが、なんだか暗い感じがする。

心なしか狛犬も笑っているように感じる。社殿も明るく感じられた。

住所

青森県三戸郡三戸町大字梅内城ノ下34-2
三戸城址城山公園に広い駐車場がある。其処に車を止めると、大体歩いて5分ほどで神社まで着くことができる。

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