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弘前八幡宮/熊野奥照神社近くから見えてた鳥居

数年前に行った記憶があるが、その時の記憶が…。神社の記憶よりも、境内に二宮金次郎像があった記憶だけが明朗にあった。どんな神社なのか改めて訪問してみよう。大きな鳥居だし、凄いんだろうなぁ。

基本情報

神社名  : 弘前八幡宮
読み方  : ひろさきはちまんぐう
社格   : 旧郷社→旧県社
住所   : 青森県弘前市八幡町1丁目1-1

御朱印  : あり
建立年  : 慶長17年(1612)
創立者  : 津軽藩二代目藩主の時代に遷座
その他  : 弘前總鎮守
       戌・亥の一代様

歴史

草創は平安時代初期に坂上田村麻呂が蝦夷征伐で苦戦を続けた時に、八幡村(偏在の岩木町八幡)に小祠を建て、宇佐八幡宮を遥拝し武運を祈願したことに始まるとされる。
津軽藩二代目藩主信牧公が弘前城を築く際に、鬼門を守護するためにそれまで百年余り大浦城の守護神として崇敬されてきた八幡宮の御神体を、八幡村から弘前の地へと奉遷した。
この地に決まったのは、信牧公が霊夢によって選定したといわれる。同時に堀越にあった最勝院をはじめとして、五の別當寺院を参道の両側に建立した。
現在もある本殿と唐門は当時の建物である。
『天下泰平・藩中安穏・民心和楽』に悲願を込めて造営した。東北地方では珍しい桃山様式を伝える代表的な神社建築と言われる。
昭和11年(1936)に国宝指定を受け、現行制度下では重要文化財となっている。
 この地に鎮座依頼、弘前總鎮守の社として藩内の最も尊貴な神社の一つとなる。藩主代々の信仰も篤く、天和2年(1682)に藩主在国の年に行われた藩内最大の神輿渡御の祭礼では、全領内から百名を超える神官の参集供奉の基に、各町内から山車を繰り出すなど、盛大なるものだったと記録されている。
明治時代の社寺改革により境内参道の別當寺院は移転し、八幡宮は明治6年(1873)に弘前郷社に列せられる。
明治13年に縣社に昇格した。
現在は宗教法人弘前八幡宮となっている。
因みに神主は初代より小野家当主が代々受け継ぎ、現在は十六代目という。

文化財について

【国指定重要文化財】
弘前八幡宮本殿・唐門
・ 昭和11年に指定
・ 本殿・唐門共に慶長17年建立
《特徴》
弘前城の築城と共に北東の鬼門の守護神として大浦郷八幡より現在の地に遷座。
弘前總鎮守の社として歴代藩主の崇敬を得る。
この地にとどまり400年余り。神気が宿っている。祖ためか格子戸の中は温度が少し低く感じるとか。

【弘前市指定有形文化財】
弘前八幡宮石造狛犬
・ 昭和39年指定
・ 寛文4年(1664)に奉納
・ 熊野奥照神社・多賀神社の狛犬と年紀・石質・大きさ・形状共に酷似している
・ 石材は福井の笏谷石
・ 日本海航路で搬入された物か?

御祭日

1月1日   : 歳旦祭
2月1日   : 焼納祭
2月1日   : 厄除祭
6月30日   : 夏越の大祓式
7月31日   : 例大祭前夜祭
8月1日   : 例大祭
12月31日  : 大祓祭

・ 毎月1日は月次祭
・ 9月~11月末までは、七五三祭

御祭神

・ 誉田別命  : 本殿中央の座
・ 息長足姫命 : 本殿東側の座
・ 比売大神  : 本殿西側の座

御祭神の神格と御利益

【誉田別命】
・ ほんだわけのみこと
・ 第十五代目応神天皇
・ 戦前までは武神として崇められていた
・ 戦後からは平和観念が浸透していき、教育や縁結びなど日常生活に根差した諸願成就へと変化
・ 『八幡さま』と全国に親しまれ、日本ちゅうどこでも出会える神様
《応神天皇》
・ 第十五代天皇
・ 歴代天皇の中において、【神】の字が付く天皇は【初代・神武天皇】【第十代・崇神天皇】【第十五代・応神天皇】のみ
・ 神武天皇・崇神天皇ははじめて国を建てた天皇
・ 応神天皇は歴史時代の始まり。学問的に【日本の歴史時代】の開祖ともいえる人物
・ 大陸から文化を取り入れた人物で、日本文化の基礎を築く
《神格》
・ 文武の神
・ 厄神
《御利益》
国家鎮護、殖産産業、家運隆昌、成功勝利、教育、交通安全、悪病災難除け、子孫繁栄、厄除け

【息長足姫命】
・ おきながたらしひめのみこと
・ 『古事記』での表記名
・ 神功皇后。応神天皇御母
・ 別称として【聖母大菩薩】がある
・ 神功皇后が武人として、呪術的行為を示すものが【新羅遠征伝説】
・ ヤマト王権最後の敵である【熊襲】を討伐する
・ お腹に応神天皇を妊娠したまま海を渡り、三韓征伐を成し遂げる
・ 日本で最初の女性肖像紙幣となる(明治時代)
《神格》
・ 聖母神
・ 武芸の神
《御利益》
安産、子育て守護、学業祈願、厄除け、病魔退散、家内安全、開運招福、延命長寿、武運長久、音楽舞踊、海上安全、無病息災

【比売大神】
・ ひめおおかみ
・ 神道における女神
・ 特定の神の名前ではない
・ 神社の主祭神の妻や娘、地元の関係深い女神などのことを言う
・ 交通安全の神と、当神社では記載されている

境内の様子

【鳥居】
笠木  : 反り増しあり
島木  : あり・反り増しあり
木鼻  : あり
楔   : あり
額束  : あり
その他 : よく見られる形
・ 全国的にもよく見かける形状の鳥居
・ 明神系鳥居の【明神鳥居】
・ 額が金縁で煌びやか
・ 令和4年御遷座410年とのこと

【狛犬】
髪・眉 : カールというよりも、髪と眉が一体化している形状
口・歯 : わかりやすり唇。立派な牙が生えている
髯   : 仙人のように鼻の下から胸あたりまで伸びる髯
耳   : 伏せというよりも、垂れた耳
目・鼻 : 大きく見開いた目。大きく立派な獅子鼻
毛・尾 : 毛並みは流れている。尾は天にピンっと伸びる
手足  : ずんぐりとした手足。
姿勢  : どっしりと構えたお座り
・ 顔つきも他では見慣れない特徴的
・ 映画『ゴジラシリーズ』に出てくるシーザーのように見える
・ 犬というよりも、獅子舞

【手水舎】
・ センサー付き
・ 立派な建物
・ 形状は鹿威しの様に竹から水が流れ出る

【茅の輪】
・ 運が良く夏越大祓の時期だった
・ 『蘇民将来』と唱えながら、順路通りに茅の輪をくぐる
・ 蘇民将来って人名だったのか…
・ 茅の輪をくぐることで【疫病退散・無病息災】を願う
・ 蘇民祭と言えば以前記事に書いた、岩手県の【黒石寺】『蘇民祭』が有名

【御社殿】
階層   : 平屋建て
材質   : 木造
建築様式 : 平入
屋根の特徴: 春日造
屋根の材質: 銅板葺?
懸魚   : 拝懸魚・雲っぽい形
・ 元の屋根を見ると【千鳥破風】
・ 現在は【向唐破風】ができていた
・ 庇かな?
・ 拝殿・社殿・本殿とどんどんと古くなり、時代・年月を積み重ねているようになっている
・ 建造物に溶け込むように手すりも設置されている
・ 社務所のお兄さんが言うには、本殿は希望があれば見学できるとか。夏越大祓など祭日時は、見学が難しいとのこと。仕方ないね
・ 昔と今とでは屋根の色が違う
・ 後ろの本殿を見るに、唐破風屋根の方は【四脚門】のようにも見える

【本殿】・【山門】
・ 以前見学時の貴重な写真
・ 【四脚門】【入母屋造】【前後軒唐破風附屋根杮葺】(案内図より)
・ 本殿は【三間社流造】【屋根銅版葺】
・ 全体的に朱い
・ 御社殿と違い懸魚に色が付いている
・ 歴史を感じさせる
・ 狛犬は後ろ姿だが、境内入り口の狛犬と形状が似ているような気がする

【摂社・末社】
・ 【法喜稲荷神社】という
・ 鳥居とかは無いが朱い


・ 稲荷神社の隣には【田代大神】という石碑と、今は学校でもあまり見なくなった【二宮金次郎像】
・ 社殿の造は流造。鳥居は台輪鳥居
・ 祭神として【保食大神】【田代大神】とのこと
・ 狛犬は八幡宮の狛犬とは違い、狛犬らしい狛犬の見た目をしている
・ 小さいが何だか強そうに見える


・ 御社殿の茅の輪近くには【高山海運稲荷神社】
・ 狛犬ではなく狛狐が鎮座されている
・ 前掛けが豪華


・ 稲荷神社の隣には神輿が置かれた【戌亥殿】
・ 弘前八幡宮は戌・亥の一代様
・ 御神輿は古いが豪華な雰囲気を出している


・ 戌亥殿の隣には【天満宮】
・ 小さいながらもしっかりとそた造
・ 小さい御社殿のような見た目
・ 学問の神

御朱印について

あり。

夏越大祓の御朱印。

感想・まとめ

熊野奥照神社さんのある住宅街を抜けると見えてくるのが当神社。
遠くからでも見える存在感のある大きな朱色の鳥居。
車通りが激しいように見えても、鳥居前には信号機があり、以外にも入りやすい立地にある。鳥居をくぐり参道を少し進むと駐車場も完備されている。
車道のすぐ近くだが、参拝時は音などはあまり気にならずに参拝できる。
摂社・末社の傍にある二宮金次郎像は、現在の学校でも見る機会が少なくなっているとのこと。筆者の母校には普通に居るが…。
整備された参道は無いが、鳥居から直線上に御社殿があり、そのわきを摂社・末社で固められている。

境内の空間は色々な建造物があるが、ごちゃごちゃした乱雑な雰囲気はなく、整然と参拝者を見ているように鎮座されている。
 弘前總鎮守の名に相応しい歴史ある本殿・唐門は見物。華やかさや華美な装飾は見られず、朱色懸魚に一部色付けされているが、重厚さと厳格な雰囲気は心を奪われる。
時期が合えばもう一度行きたい。

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