近場や穴場の神社紹介。地元の紹介。

  1. ホーム
  2. 御朱印
  3. 【青森県護国神社】感謝の気持ちを忘れずに

【青森県護国神社】感謝の気持ちを忘れずに

基本情報

神社名 : 青森縣護国神社
住所  : 青森県弘前市下白銀町1−3 弘前公園内
御朱印 : あり(護国神社)
御城印 : あり(弘前城)
創建年 : 明治3年
創建理由: 箱館戦争の戦没者慰霊のため

御由緒・歴史

津軽藩主津軽承昭公の思し召しにより創建。
明治43年3月に弘前招魂社として現在地に移築。
昭和11年8月青森縣招魂社となる。
昭和14年4月に、一府県一社を原則とした内務大臣指定護国神社となった。
この神社には、幕末・明治維新以来、日清戦争・日露戦争・大東亜戦争など多くの戦いで、日本の平和と美しい山河や愛する家族を護るために亡くなられた、青森県出身二万九千百七十一柱の方々の御霊―【英霊】が神様としてお祀りされている。
現在、こうして私たちが平和で豊かに暮らしていられるのは、国の危機に際して尊い命をささげられた【英霊】のおかげであることを、決して忘れてはならない。

公園内の様子

護国神社は弘前城公園敷地内にある。
弘前城の様子も書いていこうと思う。
【弘前城】
・ 弘前城天守閣は現存天守閣の一つにして、東北地方唯一のモノ。
・ 小規模だが江戸前期の威風を感じさせる。
・ 現在の店主は津軽藩九代藩主・津軽寧親の時代、江戸時代末期の文化7年(1810)に新造されている。
・ 最初の天守は津軽為信が計画、二代目藩主信牧が慶長16年(1611)に完成。その16年後に落雷で焼失。
・ 江戸末期だが江戸時代に建築された現存天守。青森が誇る城郭と言える。
・ 現在は石垣を修理中。そのため天守を曳家した。日本の城の曳家は初めてらしい。
・ 日本百名城の一つ。県内のもう一つの百名城は、八戸市の根城。

【弘前城北の郭北門(亀甲門)】
・ 重要文化財。昭和12年7月29日指定。
・ 現在は搦手門。築城当初は、大手の門として建築された城門。
・ 現存する4つの城門に比べて規模が大きい。
・ 平川市の大光寺城の城門を移築したとも言われている。
・ 中世以来の系譜を持つといわれる城門。
・ 大きいし立派。嘗て此処を騎馬が駆けていたと夢想するのも一興。

【岩木山】
・ 青森県の最高峰。
・ 通称津軽富士。
・ 山岳信仰の場所。
・ 『山』をそのまま形にしたように見える。
・ 天守からの眺め。昔の殿様も見ていたのか?

【護国神社・鳥居】
笠木  : 水平
島木  : なし
木鼻  : なし
額束  : なし
特徴  : シンプル
上記のこと・護国神社と言うことも踏まえて考える。
笠木に反り増しがなく、シンプルな造り。神明系鳥居。その中でも靖国鳥居を指すと思われる。

御朱印・御城印について

両方あり。
御朱印⇒青森縣護国神社社務所にて
御城印⇒弘前城内

感想

三の丸追手門から入城する場合は、一番奥に護国神社がある。四ノ丸北門からの入城だと、直ぐに神社があるが、三の丸方面からの入城が個人的には勧めたい。
弘前城の貴重な曳家のを見ることができる。城跡であれば石垣だけ見ることができるが、工事中の石垣打でけなく、実際にその上にあった城郭がすぐそばにある光景はなかなか見る機会はないだろう。
お城としては小さいかもしれないが、現存天守を見ることもできる。
筆者は他の県の護国神社を訪問したことがある。

どの護国神社でも身が引き締まる思いをしたが、地元県の護国神社を参拝したときは何故か緊張した。
理由はわからない。
親戚等が眠られているわけでもないが、いつも以上に気を引き締めて参拝したことを覚えている。
神社周辺の雰囲気は、荘厳ながらも落ち着いた空気が漂っていて、参拝時はお祭りなどの時期ではないためとても静かな場所だった。
身が引き締まり緊張する場所だったが、息苦しさなどは感じられなかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA