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自然の恐ろしさを目の当たりにしつつ、復興を願ってます

基本情報

神社名 : 舞戸正八幡宮(まいとしょうはちまんぐう)
別称  : 西乃浜鎮守祈願所 舞戸正八幡宮
住所  : 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町大字舞戸町字上富田148番地
御朱印 : あり。(現在は困難か?)
創建年 : 文明9年(西暦1478年)
創建者 : 紀直庸
その他 : 令和4年の大雨の影響で、河川の氾濫による被災

御由緒・歴史

紀直庸が応仁の乱(1476)による戦火から逃れるために、主君に従い京から鰺ヶ沢へ。
殊勲の死去後に、舞戸郷に移り住み小社を建てる。
そこで主君の霊と先祖代々の氏神を奉斎する。
天文年間(1532年ころ)に三代目・紀直芳は、『紀から木村』に改める。そして八幡宮を勧請する。
理由としては慶長年間(1596年ころ)に木村相模が再興したということから。
延宝7年(1679)に、舞戸・館・田浦村の3つの村に再建。
明和3年(1766)に、津軽藩七代目藩主・津軽信寧公により赤石組五十三ヶ村の鎮守祈願所と定められる。
明治6年(1873)に郷社に列格。
明治12年(1879)には、館・元田浦に鎮座の稲荷神社二社を合祀。

御祭神

主祭神 : 譽田別命(応神天皇)
合祀神 : 倉稲魂命(稲荷神)

御神徳

譽田別命 : 成功勝利、国家鎮護、交通安全、子孫繁栄、家運隆昌など
倉稲魂命 : 五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒・健康祈願、技芸・芸能、金運上昇など

年間行事

1月1日  歳旦祭
1月8日  焼納祭(どんと焼き)
2月1日  厄除祭
4月5日  祈年祭
6月30日  大祓
7月4日  例祭前夜祭(宵宮)
7月5日  例祭
9月    戦没者慰霊祭
12月5日  新嘗祭
12月30日 大祓
12月31日 除夜祭

毎月1日15日  月次祭
上記以外毎日 日供祭

境内の様子

【鳥居】
笠木 : 反り増しあり
島木 : あり・反り増しあり
木鼻 : あり
額束 : あり
その他: 下に台座有り(その写真写すの忘れました)
明神系鳥居で、全国で最もよく見られる形状。

【神門】
・ 小さいが似たようなものがあった
・ 見にくいが奥の門らしきもの

【手水舎】
・ 龍神様
・ 近くに川があるため、水難に対しての守り神か

【神橋】
・ 川はないが橋だけがあった
・ 神域と外界を隔てる場所

【狛犬】
・ ピンと背筋を伸ばした狛犬
・ 青森県内の狛犬でも背が高く感じた
・ 見た目や特徴から大宝型のように見える
髪  : 真ん中分けでカール
髯  : 顎髭あってカールしている
歯  : 牙が見える。それ以外の歯は見にくい
尾  : ピンと立った立ち尾
体つき: 筋骨隆々ではない

【ウマ】
・ 神社の本殿前にウマ
・ 躍動感がある
ウマ  : 神の願いを届ける
御利益 : 五穀豊穣、祈雨・止雨、諸願成就

【本殿】
・ 木鼻は獅子
・ 蟇股の彫刻は龍神様
・ 波のような彫刻と龍神様から水龍か
・ 土地柄からか水難無事の守り神かもしれない
・ 荒れる海を鎮めているように見える

御朱印について

あり。
現在は令和4年の大雨に被災し御朱印の対応は困難。

まとめ・感想

街中の神社という立地にある。
街中で車通り・人通りも多いが、神社の境内は落ち着きゆったりとした雰囲気が漂っている。
令和4年の8月に訪問した際は、以前と同じ場所なのだが、寂しい感じがした。
その時に神主さんと会話したが「先日の大雨で近くの川が氾濫して、社殿の床は全部浸水したよ。社務所も浸水しちゃって…。お守りも全部浸水したり流されたり…」とのこと。
大雨の被災により、参拝者も少なくなったとも話されていた。
社殿の浸水で神域が侵されたされただけでなく、訪れる人が少なくなったことで余計に寂しさが増したのではないだろうか。
筆者はスピリチュアル的なものはよくわからないが、何かしらの想いが渦巻いている神社は寂しさはなく、温かみが感じられる。
しっかりと復興した後は、少しばかり遠いが再度参拝に行きたい。

鰺ヶ沢と言えば…

青森県を代表する相撲取りの舞の海関や誉富士関の地元として有名。
その他にも『鯨餅』というお菓子がある。浅虫で買える『久慈良餅』もあるが、鰺ヶ沢の方も素朴な味わい。
参拝後に近にある海の駅で買うのも良いかもしれない。
その駅には鰺ヶ沢では一番有名かもしれないあのワンコのパネルがある。童謡『赤いくつ』の歌碑もある。写真を一緒に取るのも良いかもしれない。

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