【八甲田神社】近くの資料館はとある理由で有名
基本情報
神社名 : 八甲田神社
住所 : 青森県青森市幸畑字阿部野163-79
御朱印 : あり
建立年 : 昭和18年。社殿建立は昭和46年。
創立者 : 小笠原壽久
その他 : 創立者の小笠原壽久氏は、三沢市の谷地頭神社も創立している
歴史
古来より八甲田山の麓には山霊を祀ることはあった。
しかし風雪厳しい山のため、長くは続かず、幾度も廃絶を繰り返していた。
昭和46年に八甲田大神の啓示を受けた創設者は、先祖の過ちによる鯨飲不明の病に苦しむ・医者からも見放されたが祈願の後に救われた方・再難続きで困窮したが信仰により良い方向へと進み運気を回復された方など、信仰ある方々と共にこの地に神社を創建する。
安倍比羅夫は蝦夷征伐の時に、後潟に政庁を置く。
八甲田山麓に山霊を祀り、伊邪那岐・伊邪那美等の諸神を勧請するが、長く続くこともなく廃絶する。
南北朝時代に北畠顕信公・守親公は南朝方に着くために南部家に頼る。しかし時運が合わずに敗けてしまい後を絶つ。
浪岡の北畠顕家公の残された子供たちも津軽氏に打倒され、その殆どは滅びる。
この北畠氏に連なる・若しくは繋がる方々の崇敬者を呼び集め、明治百年を期して祭祀の場をここに起こした。
御祭神
・ 八甲田大神
・ 大山祗大神
・ 天照大御神
・ 美穂屋姫大神
・ 北畠顕信命
・ 北畠守親命
・ 伊邪那岐大神
・ 伊邪那美大神
・ 月夜見大神
・ 大地主大神
御神徳
病気平癒・安産・合格祈願・運気回復
祭事
1月19日 : 月並祭
4月19日 : 祈年祭(春祭)
6月19日 : 例大祭
8月25日 : 鎮座記念大祭
11月3日 : 文化祭
11月19日 : 新嘗祭(秋祭)
毎月末日 : 献酒祭
美穂屋姫大神って?
・ 日本神話に登場する神。大国主神のお后様。
・ 『日本書紀』に登場する。
・ 出雲の美保神社で大国主神の子供である事代主神とともに祀られる
・ 丹波の出雲大神宮では大国主神とともに祀られている
・ 【ミホツヒメ】と呼び、『ツ』は『の』の意味。【ミホの女神】という意味になる
境内の様子について
【鳥居】
笠木 : 水平
島木 : なし
木鼻 : なし
楔 : なし
額束 : なし
・ 木製
・ 神明系の鳥居
・ 貫が角形
・ 形こそ黒木鳥居に似ているが、生木ではない
・ 特徴から靖国鳥居に属すると思われる
【狛犬】
・ どこを探してもいなかった
・ 雪に埋まっているのでは?と思ったが、過去の写真を探すが確認できず
・ 社務所に入ると陶器の狛犬が居られた
・ 狛犬に角が無いが、御朱印を確認すると角はあるらしい
【手水舎】
・ 心なしか谷地頭神社の手水舎に似ている
・ 左は谷地頭神社。右が八甲田神社
【祭具収蔵館】
・ 八甲田雅楽があるとか
【摂社・末社】
颱風神社
御祭神 : 科津彦大神、科津姫大神、雷電大神
創建年 : 令和2年9月22日
歴史
昭和29年の『青函航路洞爺丸沈没事故』を機に昭和30年より台風の進路が青森に向くと、災害防止祈願祭を行い、台風が焼失するまで祈願を続けている。
・ 建物内部には【風神と雷神】の絵があり
・ 本殿は質素な造り
・ 2016年の写真を見ると、こちらへの参道は無し
・ むしろ木々が広がっている
【社殿・本殿】
・ 社殿はシンプルな造り
・ こじんまりとしており、煌びやかな飾りや華美な彫刻も確認できず
・ 社殿の裏には三本殿がある
・ 表からは確認できないが、社殿の後ろに回ると確認できる
・ 三本殿への御参拝は元日夜明けから3日間のみとのこと
・ 本殿への参拝はなかなかできないこと。一度は行きたいが…
御朱印について
御朱印有り。2種類。
①八甲田と狛犬
八甲田連峰と一角の狛犬
②八甲田と神鷹
八甲田連峰と八甲田神社の神の遣いである神鷹
まとめ・感想
まさに八甲田山の入り口近くにある神社。某映画でも有名になった八甲田山。神社入り口を右手にしてさらに進むと、某銅像が立っている。
八甲田山と言うと一日で降った雪の量がギネスに認定されたことでも有名。
そんな八甲田山を山霊として祀る神社。岩木山神社同様にお山を祀っている。
神社の境内はそれほど広いとは感じない。冬以外の季節はゆったりとして気持ちが良いが、冬場は雪が高く積み上げられており、それからの圧迫を感じる人もいるかもしれない。
境内に入るとピリッとした気持ちに切り替わる。山門は確認できないが、冬場は雪が山門の代わりになっているように感じられた。
拝殿は質素な造りだが、奥の本殿は神明造でどことなく三沢の谷地頭神社に似ていた。地図上で確認すると、八甲田神社と谷地頭神社は直線で結べるような場所に鎮座していた。
同じ人物がそれぞれ創建されたが、力の源などの波長もきっと似ているのだろう。
左が谷地頭神社。右が八甲田神社