【蓮華寺】百年の計、先見の明の上人により守られた寺社
基本情報
山号 : 廣布山
寺社名 : 蓮華寺
宗派 : 日蓮宗
住所 : 青森県本町1-5-12
御首題 : あり
創建年 : 永仁2年(1294)
開基 : 蓮華阿闍梨日持上人(日蓮大聖人の弟子のひとり)
その他 : 旧寺町にある『4番目』のお寺
由緒・歴史
日持上人は恩師の13回忌を済ませた後、海外不況を目指し北海道に渡ることに決める。
当時の青森である『合浦外ヶ浜村』に立ち寄る。
しかし激しい風波により船を出すことができず。この村に数か月とどまる。その時にこの地に一つの草庵を立てる。この草庵は【法華堂】と称した。
この草庵が後の【蓮華寺】である。
日持上人は伝説を数多く持つ人物でもある。
上人は北海道から樺太を経由して中国内地まで不況を努めた人物。沿海州・満州内地にまで足を延ばした。
これにより青森県・北海道・中国各地には、彼に関係する数々の遺跡が残っている。
上人が北海道を目指したのは45歳の時。700年以上も前に海外布教を試みたのは、当時としても異形の一つと言える。
法華堂は国内最北の道場として受け継がれた。
江戸時代の寛文4年(1664)に京都にある大本山【妙顕寺】より下向した日通上人が、津軽藩主より【廣布山・蓮華寺】として開山の許可を得る。
ここから廣布山・蓮華寺の礎が築かれた。
蓮華寺は青森開港と共に、現在の場所に移り発展をつづける。
現在の本堂は昭和2年(1929)に第26世日濤上人が当時とは異色の鉄筋コンクリートで建立。当時は寺院と言えば木製が主流だった。そのため確保凹面から反対があった。
上人は『百年の計』と言い、周囲の反対を押し切り予定通りに工事に着手する。この本堂はその後も何度かの修復を繰り返しながらも、現在まで至る。上人の建立百年をあと数年で迎える。
青森空襲時にも焼けることを免れる。戦後3年間は当時の青森市役所も間借りしていた。
阿闍梨とは?
仏教用語で『弟子を教授して軌範となる師・先生の意味』。高僧のこと。
・ 密教では秘法に通じる。伝法灌頂を受けた者のことを言う。
・ 比叡山など七高山、及びにその他に祈祷する勅命を受けた僧。
・ 一身を限って補せられた貴種の名徳の僧。
・ 真言宗・天台宗の僧の職名。
日持上人の伝説
・ 魚の『ホッケ』は【法華】から名付けられた。
・ アイヌ語で『内地の人』のことを『シャモ』と言うが、語源は【沙門日持】より。
・ 真偽は不明だが、函館山には日持上人が石の表に【南無妙法蓮華経】と書き記したとされる、御経石が存在する。
・ 遺物としては不十分だが樺太にも上記のような石が存在する。旧島民の信仰の対象だったという。
境内の施設
【日蓮聖人の石像】
・ 目力のある石像。
【日持上人之碑】
・ 蓮華寺開基・海外伝道始祖の刻み文字。
【水子観音像】
【動物供養塔】
・ 境内でも目立つ場所に鎮座されている。
【菩薩行浄】
【法華堂茶釜の説明】
・ 青森市指定文化財。
・ 胴部に【法華堂】と刻まれている。
・ 水戸藩に仕えた中国の儒者・朱舜水の書。
・ 徳川光圀愛用→藤田東湖が拝領→二十六世住職角田堯現が帰郷の際に持参。
【最上稲荷堂】
・ 稲荷大明神・三十番神
【本堂】
・ 百年近く前の建造物と言われても信じられない。
・ 中は静謐な空間。
御首題について
通常御首題。
特別御首題。
蓮華寺御首題帳。
まとめ・感想
見た目は近くにある三寺と同じくらいに新しく見える。しかし蓮華寺の歴史を見ると、建物自体の礎は数年で百年を迎えることを聞き驚く。
空襲を免れた貴重な建築物だが、近隣の他の寺院とは違い、建物が朱く目立つもので、古い言い回しだが参詣時に「あ、ハイカラな建物だなぁ」と思っていたりする。
今は亡き祖父や現在老人ホームに入居している祖母が、空襲時のお話をしてくださったときに蓮華寺のことを話して下さっていた。
祖母はよく『空襲時は周りは全部焼けてなくなっていたけど、日蓮宗のお寺だけ残っていた。あの時にこのお寺に逃げてなかったら助かってなかった』と話していた。その祖母も認知症が進んでいるが、先日急に思い出し蓮華寺のことを話していたこともあり、しっかりと歴史や沿革を知らなかったので訪問することに。
蓮華寺の寺務所には当時の写真が掲示されていた。御首題をお願いしている間、その当時の新聞記事などを読んだ。
当時のことを知る人たちが少なくなってきている現在、こういう記事や写真は貴重なモノだろう。記事だけでなく、御堂も当時からこの地に建っているのは、反対を押し切り建立した当時の上人の先見の明も素晴らしいものだと感じる。
参詣時には御題目を唱え、祖母や家族の健康を祈願し、お寺を後にした。