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陸奥護国寺/雪の中から見える湯ノ島

基本情報

寺院名  : 陸奥護国寺
宗派   : 高野山真言宗
寺格   ; 準別格本山
正式名称 : 高野山真言宗準別格本山陸奥護国寺
住所   : 青森県青森市浅虫山下203−6
御朱印  : あり
開山   : 紀州高野山金剛峰寺塔頭遍照尊院が津軽に別院を置いた
開山年  : 江戸時代
その他  : 津軽弘法大師十八番札所

歴史

遍照尊院は高野山塔頭の中で鎌倉時代中期に開創され、津軽家の菩提所となった寺院。
その別院が長い間廃寺状態になっていた。
大正末年に遍照尊院の弟子で、尼僧堤隆興が青森市港町に庵を築き、遍照尊院別院を中興した。
昭和10年には、津軽藩の遊山地で、昔に蝦夷の籠城があったとされる現在の地に仏縁を頂き移転した。
裏山境内地には八十八ヶ所の石仏霊場を開場し、大師信仰の聖域としてその雰囲気を醸し出している。
その後遍照尊院末寺で岡山の豊楽寺向井坊を統合した。
昭和15年に陸奥護国寺の寺号認可を受ける。
昭和22年には総本山より高野山真言宗準別格本山の自覚を受け賜る。
そして本州最北の高野山霊場として今日に至る。

年間行事

【星祭り節分会】
2月3日
一年の除災を願い護摩祈祷を修し、祈願・供養を勤める。
法会終了後は豆まき。

【春季大祭】
4月21日
弘法大師の霊徳にあやかり、先祖・故人・水子の供養。また心願を祈念する包容。
終了後はお砂踏みをする。

【夏季大祭】
7月15日
弘法大師の月遅れ誕生法要、新暦の盆供養。
8月お盆は菩提寺での供養。
7月お盆は高野山で供養。

【秋季大祭】
10月21日
当時開山記念の法要。
先祖・故人・水子・迂遠・無縁にいたるまでの供養並びに心願記念。

境内の様子

【山門】
・ 華美な装飾や彫刻などはなく質素な造り
・ 寺号・寺院名の書体はハッキリとしており、崩してはいない
・ 山門と言うが寺院を囲っているわけではないが、ここから寺院へと入る場所と言うことがわかる

【石碑】
・ よ~く見ると『浅蟲』というものが見える
・ 『浅虫』は『浅蟲』という地名だったことがわかる
・ 『高野山』の下に何かがあるのかな?

【参道】
・ 寺院に行くまでは階段か坂道があるという
・ 雪の坂道・凍っている道は無理なので、坂道を選択
・ 階段を上ると直ぐのところに石仏様
・ 寺院に近づくと不動様
・ 寺院からは陸奥湾と湯ノ島を臨める

【御本堂】
・ 弘法大師様が居られる
・ 参拝時に宗派が違うことを伝えると、住職さんが『宗派が違っても拝んでください。心から拝めば大丈夫』とのこと
・ 手を合わせ心の中で拝む
・ 水子の仏さまは優しい表情
・ ぼんやりと仏様が浮かび上がっている
・ 線香の燭台は『蓮』の形

御朱印について

あり。
津軽弘法大師十八番札所。

まとめ・感想

青森市へ向かう道中、何度も「行って見たい」と思いながらも素通りしていた。たまたま訪問・参拝となった。
山門をくぐったあたりから雪が激しくなった気がした。道中は雪が少なく、とても運転しやすかったのだが…。
寺院への参道は階段側の方が歩きやすかった。坂道は一部凍っており、車がもしも通る場合は危ないと感じ、階段側の参道を選択する。
参拝の直前まで『星祭り・節分』を行っていたとのこと。まだその時の参加者さんたちが居られたにもかかわらず、御朱印の対応をしてくださり、さらに御本堂も案内して下さった。
その時の参拝時に「宗派が~」と言うことをお聞きしたところ、住職さんが『宗派が違ってもお祈りする気持ちは一緒。まずはお礼をし、今後のことを拝んでみてください』とのこと。そういえば近くのお寺の方々もそういうことを話されていたことを思い出す。
雪道だったが無事に到着したことに感謝し、これからも無事故無違反で過ごせるようにお願いする。

帰宅時に心に残る標語が張り出されていた。
【過去と相手は変えられないが、未来と自分は変えられる】
と言うもの。
少しでも良き未来を進むために、何か今の習慣を変えられるようにしたいと思う。

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