【中野もみじ山神社】こんなところにも小さな京都
神社名
旧津軽藩公祈願所 モミジの小嵐山鎮座(酉年生まれ一代守護神)
津軽三不動尊 中野神社
御由緒・歴史
第三十三代推古天皇18年(610年)に唐僧円知上人が、一本の木から三体の不動尊を作る。
- 東光山五輪寺(現在の長谷沢神社)
- 黒瀬山不動堂(現在の中野神社)
- 古懸山国上寺
上記の3つの寺にそれぞれ勧請した。これを後の世では津軽三不動尊と称される。
延暦19年(800)坂上田村磨将軍が、東夷調伏の時に、戦乱の後に永く平安が続くように不動尊を安置し、またお堂を建立した。天正年間に戦火の災害を受けてしまい、社殿・霊宝・旧録の全てを焼失する。しかし不幸中の幸いか御神体は難を免れ小殿に遷す。寛永元年(1624)に、当時津軽に配流されていた花山院忠長が、温湯に湯治され当社が経験した災害・戦火などを聞き、「鎮国伝」の御額一面を御奉納する。またもみじ山にある瀧を歌にお詠みになられる。
「薄紅葉 中野の宮の 瀧川にすむ 魚など ここ地善きなり」
寛永7年(1667)に津軽黒石二代藩主信敏公より、社殿並びに社領米を賜り、以来明治4年の廃藩置県に至るまで弘前・黒石両津軽家の祈願所として代々修理を加えられる。
特に享和年(1803)4月に弘前九代藩主津軽寧親公が百種類の楓樹を京都より取り寄せ奉納されたことにより、「中野の紅葉」として県内外に知られるようになり、そのまま現在にまで至っている。
昭和20年12月神道指令に依り翌21年2月を以て国家管理を離れ、同26年宗教法人法の基に神社本庁の包括化に再改される。それでも神に接する人々の信仰そのものは依然として持続されて今日まで続いている。
※(参拝のしおり参考させていただきました)
御祭神
・ 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
・ 坂上田村麿命(サカノウエノタムラマロノミコト
・ 岩戸姫命(イワドヒメノミコト)
・ 少名彦命(スクナヒコノミコト)
・ 大山衹神(オオヤマヅミノカミ)
・ 倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
御神徳
・ 火難消除
・ 五穀豊穣
・ 家内安全
・ 子孫繁栄
・ 開運厄除
・ 商売繁盛
・ 悪霊退散
・ 病気平癒
・ 交通安全
・ 入学勧学
・ 安産祈願
・ 身体健全
祭典暦
・ 歳旦祭 1月1日
・ 焼納祭 1月11日
・ 不動尊祭 旧暦4月8日
・ 祈年祭 4月28日
・ 前夜祭(夏越大祓) 7月27日
・ 例大祭 7月28日
・ 中野山 紅葉祭安全祭 10月初旬
・ 新嘗祭 11月28日
・ おこもり祭 旧12月27日~急12月28日
・ 大晦日年越祭(大祓) 12月31日
狛犬の様子
酉年一代守護神からなのか、鶏が御鎮座されてました。
神社の雰囲気
京都から取り寄せた樹々を利用したもみじ山が一番の魅力だと思う。ネットなどでも『中野もみじ山』と調べると綺麗な紅葉を見ることができる。何度か訪れたことがあるが、まだ満開の紅葉を見たことがないため何とも言えないが、なりかけ・散り際であってもその色は圧倒されるものだった。母が昔見たことがあるらしいが、やはり感想は「散り際が好きな人もいるけど、ヤッパリ満開の山は紅く燃えているようできれいだよ」と言っていた。満開の紅葉はいつか見てみたいし、写真に収めてみたいと思う。
神社本殿までは鳥居から10分ほどで着ける場所にある。周りの景色や句碑・歌碑を探したり、川縁まで下りて瀧を眺めたりすることを含めても30分ほどで到着できると思う。
神社の境内には狛犬の他にも酉も鎮座されている。狛犬よりも堂々と佇んでいる。しっかりと雄と雌の違いが分かるように鶏冠も違っている。
6年前に訪れた時と変化がないように見えて、大きな違いがあった。コロナの影響により本坪鈴の位置が変わっていた。社務所で神社の方にお話を聞くと、「コロナ禍のころは外していて、徐々に旅行者も戻ってきたから付けなおしたけど、鳴らす人は減ったよ。消毒していても怖いからねぇ…」とのこと。わいも鳴らすことを躊躇ったが、参拝時には柏手を大きくし、此処までの道中が安全だったことの感謝し、帰宅時の安全を願った。またコロナが落ち着き本坪鈴を鳴らせられる日が早く来るようにお願いした。
御朱印の有無
御朱印有り。
鳥居近くに社務所があるので、参拝前に御朱印をお願いすると、参拝後に頂くことができます。
右が通常、左が中野紅葉祭の特別御朱印。
初穂料は300円(だった気が…スイマセン)
住所・アクセス
青森県黒石市大字南中野字不動舘27番地
※神社の近くには駐車場があります。少し離れたところには無料の憩いの駐車場もあります。