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青森県護国神社/神社と雪と祭と

何十年かぶりに弘前の雪まつりに。そういえば弘前城も久しぶりで…。祭りも楽しみつつ、雪の護国神社にも足を運ぶことに。

基本情報

神社名  : 青森縣護國神社
読み方  : あおもりけんごこくじんじゃ
住所   : 青森県弘前市下白銀町1-3

御朱印  : あり
社格   : 旧内務大臣指定護国神社、別表神社
建立年  : 明治2年
創立者  : 弘前藩第十二代藩主・津軽承昭
その他  : 弘前公園四ノ丸に鎮座される

歴史

明治2年6月6日に、最後の弘前藩主津軽承昭が戊辰戦争戦没者慰霊のため、弘前城下字宇和野慰霊が当神社の神事の始まり。
明治時代の幕開けとなった戊辰戦争に弘前藩は討幕軍として出兵。箱館戦争などにおいて尊い戦死者を出した。
明治2年6月6日に、最期の弘前藩主・津軽承昭は、藩士67柱の戦没者を弘前城下字宇和野に慰霊した。これが青森縣護国神社の神事の始まりとされる。
翌年の3月9日に弘前市に隣接する富田村に堂宇14坪の招魂堂を建立。羽州庄内・奥州南部・松前箱館の役などで戦没した弘前藩の諸霊と、肥後熊本細川藩士の応援犠牲者も加え、200余人を合祀した。
明治21年12月に現在の藤田記念公園に招魂堂を移築。
明治43年1月に、現在地に移築され【弘前招魂社】と称される。
昭和11年8月に、一時期【青森招魂社】に。
昭和14年4月1日より【青森縣護国神社】に改称。
昭和20年の敗戦により、連合国軍司令部は信教の自由の名のもとに様々な形で神社活動に対しての妨害を行った。しかしこれらに対して当神社は、神社と関係者の力の結集により【護国神社】の名称を守った全国3社のうちの1社。
幕末・明治維新以降の戦争などの戦いにより亡くなられた青森県を本籍地とした軍人・軍属の方々の御神霊を祀られている。

※《名称を守った全国3社のうちの1社》
他には【和歌山縣護国神社】【徳島縣護国神社】

御朱印について

・ あり
・ 初穂料は500円
・ 数年前、それこそ某感染症前は直書き
・ 現在は書置き

御祭日

【大祭】
・ 4月28日   : 前夜祭
・ 4月29日   : 例大祭
【永大神楽奉納祭】
・ 9月第1土曜日 : 前夜祭
・ 9月第1日曜日 : 永大神楽奉納祭
【中祭】
・ 春分の日   : 春分祭
・ 秋分の日   : 秋分祭
【小祭】
・ 元旦     : 歳旦祭
・ 4月1日    : 鎮座記念祭
・ 8月15日   : 終戦記念祭
・ 11月3日    : 恒例祭
・ 天皇誕生日  : 天朝祭
・ 毎月1日と15日: 月次祭
【献灯みたま祭・奉納提灯掲揚点燈「光の祭典」】
・ 弘前城さくら祭り期間中
・ 永代神楽奉納祭前後7日間
【手作り宵宮開催】
・ 例大祭前夜祭・永大神楽奉納祭前夜祭に合わせ
【弘前城雪燈籠祭期間中補助参加雪燈籠点燈】

御祭神

青森県出身の英霊

御利益

厄除、開運、合格祈願、交通安全、家内安全、商売繁盛、なぢの諸祈願

弘前とりんご

・ 西洋林檎が明治4年(1871)に日本へ
・ 明治8年(1875)に青森県に3本の西洋林檎の苗木が国から配布されたのが始まり
・ 2年後の1877年に初めて実を結ぶ
・ 東奥義塾の米国人教師のジョン・イングがクリスマスに教え子らに西洋林檎を御馳走したのが始まりとも
・ 当時の新政府は勧農政策の一環として、海外の新品種や種苗などを全国に配布
・ 県下一円で試作されるが、弘前周辺に良好に根付く
・ 明治10年に初めて3個のりんごが収穫された
・ 弘前は四季の変化にメリハリがあり、リンゴの生育条件に当てはまる
・ 夏から秋に掛けて適度な冷涼な気候
・ 鉄道の開通により東北は勿論、北海道・関東・関西へと販路が広がり、青森港が特別輸出港になり、上海などの海外へと広がっていく
・ 青森県民あるあるとして、「リンゴは買うよりも、貰う方が多い」とあるが、南部住みのワイ、津軽の知人から大量にもらう

林檎の偉人

【菊池楯衛】
・ きくちたてえ
・ 青森りんごの開祖・始祖
・ 明治初頭にリンゴ栽培の最初の苗木を配布し、試植させたことにより津軽地方に林檎を広めた
・ 青森県にリンゴ栽培が適していることを確かめた
・ リンゴの栽培技術を広める
・ リンゴ産地の基礎を作った人物

【外崎嘉七】
・ とのさきかしち
・ 青森りんごの中興の祖
・ 林檎の神様
・ 明治時代に林檎の病害虫などによる生産危機を乗り越える際に尽力した
・ 袋掛け
・ ボルドー液散布などの普及に努める

【渋川傅次郎】
・ しぶかわでんじろう
・ リンゴ生産者の組織設立者
・ 青森県りんご協会
・ 第二次大戦後に荒廃したリンゴ園の復興に尽力
・ 青森りんごの戦後復興の祖

【木村甚彌】
・ きむらじんや
・ 青森県りんご試験場でりんごの病害研究に従事
・ モニリア病の解明や防除法の確立に貢献

【斎藤昌美】
・ さいとうまさみ
・ 『ふじ』の普及に大きく貢献した人物
・ フジがあまり多く栽培されていないころから、その優位性を見抜き、いち早く栽培に力を入れ栽培方法を確立させた人物
・ その技術を独占するのではなく、自分が育てたふじの枝を分けていき、徐々にフジは広がることに


弘前城近くのおみやげ

・ 弘前城近くにある【ねぷた村】でおみやげを物色
・ 店先に【金魚ねぷた】が吊るされている
・ 護国神社近くの北門からすぐの場所にある
・ ワイがお勧めするおみやげは【いのち】
・ 見た目は大きな萩の月
・ 県外の友人にあげると喜ばれる
・ 青森県のお土産と言ったら【いのち】や【くじら餅】
・ 日本酒などのお酒好きには【なかよし】を良く選んでいる
・ 青森と言えば林檎のイメージが強く、お土産の味は林檎が多い気がする
・ この近くではないが、弘前市内には東北最古の喫茶店『万茶ン』さんがあるとか。次回弘前訪問時には行って見たい
・ 何気に弘前は喫茶店が多い。珈琲好きは巡るのも良いかもしれない

境内の様子

【大鳥居】
笠木  : 水平
島木  : なし
木鼻  : なし
楔   : なし
額束  : なし
その他 : シンプルな造りの鳥居
・ 鉄板かなぁ?緑青に変色している
・ 神明鳥居
・ シンプルな造りで、ザ・鳥居!といったもの

【二の鳥居】
笠木  : 反り増しあり
島木  : あり・反り増しあり
木鼻  : あり
楔   : あり
額束  : あり
その他 : 全国でよく見られる形状
・ 明神系鳥居
・ 石造の鳥居
・ それなりの高さがあるはずなのだが、雪に埋まっている
・ 一度目の寒波で殆ど埋まっていたらしい

【御拝殿前の鳥居】
・ 大鳥居と同じく神明鳥居
・ 大鳥居より小さい
・ 材質も同じく鉄板敷
・ 「第2寒波では降雪が少なかった」と聞いたが、そんなことない。しっかりと埋まっている

【参道】
・ 大鳥居からまっすぐに御社殿にはいきつけなかった
・ 雪が無い時期なら直ぐだが、雪道はなぁ…
・ 除雪はしていたが、少しでも脇道に逸れると靴が埋まる
・ しかも重い雪だから、歩きにくい
・ パウダーだとそれはそれで面倒だから、どの状態の雪が良いのかは何とも言えないが…
【狛犬不在】
・ 狛犬さん不在
・ 寒かったからではないなぁ

【手水舎】
・ 龍神様
・ 冬の時期は手水舎自体が埋もれている
・ かろうじて見えるのが龍神様
・ 四脚の建物に鉄板敷の屋根

【御社殿・御拝殿】
階層   : 平屋
材質   : 木造
建築様式 : 切妻造り
屋根の特徴: 平入
屋根の材質: 銅板葺
・ 同じ建物なのに、季節によって雰囲気は別物
・ 宮彫りに龍神様
・ 夏場→堂々とした力強い感じ。厳粛な空気感
・ 冬場→孤影悄然といった雰囲気。それでも雄気堂堂
・ どの季節に訪れても威風堂々とした雰囲気を出している存在感
・ ほかの神社や寺院では感じられない厳かな雰囲気を感じられる場所

まとめ・感想

まさかの最強寒波到来時に弘前城へ。
丁度休みで雪まつり開催にあたることから「これは行くしかない!」ということで訪問したが…。思ったほど積雪は無かったが、ただただ寒かった。護国神社近くの駐車場ではなく、市役所側だったことも寒さの遠因か。
どのくらい寒かったか…「出店でラーメン頼む→凍ってくる」くらい。冬場の冷やしラーメンも乙なもので?
境内の殆どが埋まっている神社も中々見れるものでもない、この時期だけのモノ。元々が神聖な空気を出している場所だが、精神的にも物理的にも澄んだ空気を吸いたいときは、冬場の参拝はお勧めか?

ただ問題点は境内に雪が積もっていると、詳細までの見学は出来ないという点。雪の中にダイブする勇気が無いと難しい。
参拝後は雪像・旧駅舎見学し、ねぷた村によって帰宅。
平日は意外と車も止めれるし、観光客も少なめで狙い目か?

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